2015-05-17

東海岸の平和

今年の冬の NY
いつものようにENGINEERED GARMENTSの ダイキさんとご飯をたべているとき
CATSKILLというフライフィッシングの聖地があり・・そこはDSとCKから程近いと
アメリカブランドのSIMMSとかの用具で固めた釣師たちがフライの腕を競うと・・
釣は縁がなかったがこの春にはデビューしてみたいと思っているのですが
フライのそのイメージはあまりにも芸術的だ
そこで今回はそこからメイン州までの旅を企てた

DAYTRIPPER-2の始まりだ
いつものルールはできる限り歴史のあるまたは感じる MOTELに泊まるんだ
今晩は BRIMFIELDから夜遅くに到着・・ホテルを探していると
突然現れた・・ROSCOEMOTEL





いい感じだ トイレにアメリカを感じてしまう


本当に GREAT FREAK’Sか
古着、古家具、古車・・使い込んだものに色気を感じる










さて明けての翌日は街の釣具屋回りから
お目当のご当地Tシャツやステッカー・・そして情報
フィッシャーが途切れもなく情報交換しながら店に立ち寄る
そしてとにかく目につくのが SIMMS







そこでの情報はこの周りどこでも釣りはできる
COVERD BRIDGEという歴史のある橋があるとのこと
早速行ってみる






冬の雪から橋を守るのが起源らしいが
美しい木の橋と屋根
周りの景色とも溶け合いなんとも美しい
親子2人で釣りをしながらBBQ 絵になる光景
バナゴンを思い浮かべてホームシックにかかる・・
釣はマジのフライフィッシングだ
糸が芸術的に飛ぶ

こんな風景を後にして向かうのがWOODSTOCK



愛と平和と自由と、何か現実を忘れさせてくれる刺激を求めて、アメリカ中の若者が、ミュージシャンが、バンドが、狂ったように西海岸で暴れ回った60年代は、正に若者の時代だった。アメリカの青春だった。「青春」という響きは、美しく、全てを肯定してしまう様な力を持っているが、同時に、儚(はかな)い。
その時代に生き、その場所にいた全ての若者、ミュージシャンたちは、本気で自分達がアメリカを変え、世界を変える事が出来るし、また、そうなるべきだと思っていたのだ。



しかし、ありったけの自由と冒険が許された青春時代も、いつかは風に吹かれて飛んで行く。
1969年8月15、16、17日の三日間に渡って行われた、史上最大の「愛と平和と自由」のロック・フェスティバル「ウッド・ストック」をピークにその青春の炎は爆発するのだが、これが皮肉な事に、40万人もの観客を動員してしまったことで企業や資本家、レコード会社などに「これは金になる」と気付かせてしまい、そのすぐ後、1970年にウッド・ストック同様「愛と平和と自由」を掲げ、イギリスのワイト島で開かれたロック・フェスティバルでは、ウッド・ストックを上回る60万人もの観衆から、しっかり入場料を取る事になった。(ウッド・ストックは事実上無料だった)


それにより、「ロックは反・商業主義のハズだ!」という幻想から覚めぬ観衆と、ギャラを受け取る出演者との間に摩擦が起こり、「資本主義のブタ」、「そんなに金儲けしたいか」などという罵声のもとに、裏切られたと感じた観衆は暴徒と化した。フィールドを仕切る壁をぶち壊し、無秩序状態となった。この瞬間、ラブ&ピースの夢は崩壊した・・・。

フェスティバルが終わってみると、そこには60万人分のゴミと、汚物と、壊された施設の残骸が残されていたと言う。それは目が覚めて、全身から力が抜け、虚脱感と不毛感に襲われた若者の心の中をそのまま映し出している様に思う。ゴミと汚物だけではない、それは夢の残骸でもあったのかもしれない


会場の問題やいろんなことを抱えながらベトナム戦争と向き合った時代

参照にしてください
http://rock-cd.info/history/1969woodstock.html


今その現場に立っている
その時 JIMI HENDRIX  JERRY GARCIA SANTANAらが立ったこの場所に
震えた・・




ミュージシャンの顔、若者のファッション、全裸で泳ぐ姿・・・
何より45年前にこの思想、ファション、音楽で流れを変えようとしたアメリカの若いムーブメント
全てが新鮮でかっこよかった
アメリカのそんな偉大な一面が大好きだ

この模様などは次のDAYTRIPPER-2の会場で・・